第39回 全国大学ラグビーフットボール選手権大会
優勝  早稲田大学

通算 11回目



                


13年ぶり 大学日本一!
決勝 関東学院戦 27−22
 清宮から13年。
 堀越が、富野が、小泉が、中竹が、左京が目前で逃した優勝トロフィーを、ついに山下大悟が手にしました。
 『早明ラグビー神話の崩壊』、「省エネ四人組」、「一年間、試合前練習程度の練習に終始した」などと酷評された時もありました。『オール・アウト』、すべてを燃焼しつくしても優勝できなかった時もありました。その間に、優勝回数でも明治大学にトップを譲ってしまっていました。
 そんな早稲田ラグビーが、久しぶりに大学チャンピオンになりました。ただ、これを「復活」と称してよいものでしょうか? メディアもそうだし、優勝前に早くも出版された清宮の著書も「復活」と銘打っています。しかし、早稲田の実績からすれば、この成績を維持できてこそ「復活」と言うべきでしょう。
 それともう一つ。キモケンは言っていました。「早稲田がめざすのは日本選手権優勝だ」と。「他の大学はせいぜい大学日本一だが、早稲田は社会人を倒しての日本一をめざすのだ」と。しかし、企業チームに外国人が加わるようになって大学チームとの実力差は決定的になりました。だから、大学日本一の方が現実的な目標ではあります。でも、こんな時代もあったことも、忘れたくはありません。


今年は勝てそうな予感が……


 年末の掲示板に、冬期講習が終わったら、次は早稲田ラグビーだと書きました。決勝前夜には、こんな書き込みもしました。

◆いよいよ決戦!!03年 1月11日(土)01時06分13秒
 あと15時間もすれば、結果は出ています。
 89年度以来の「荒ぶる」は聞けるか? 87年度のようなOBの乱入はあるか?
 早稲田のリザーブは5人がFW、BKは安藤と内藤晴児の二人だけ。清宮は激しいFW戦を予想しているのでしょう。
 風はどうかな? 慎平クン、ハラハラFBの再来はゴメンだよ。
 田原クン、大田尾クン、GKはどっちが蹴るのかな? 頼んだよ。
 大吾クン、これまではチャンスメイクに徹し、自身の突破を封印してきたでしょ。もう、解いてイイよ。昨年の決勝戦。自身の突破を控えていた関東・山口主将は、後半、左サイドで強引に突破を図り、早稲田DFを蹴散らして決勝トライをあげたよね。君にも、ああいうプレーを期待しているよ。
 岩下レフェリー、関東のラフプレーや暴言は、ビシビシ取り締まってください。

 本日夕刻の本部キャンパスでは、早くも『早稲田スポーツ』決勝特集号が配布されていました。現役学生の関心は、“いまいち”。講習中に出会った学生も、「ああいうのはサークルのノリで行くんでしょ?」と関心は強くはありませんでした。
 清宮は、スタンドをエンジで埋めつくしてくれと言っています。わたしもエンジに身を固めてまいりましょう。わたしの席は、17ゲート後段B列です。


 adidas製のニュー・ジャージーが欲しくなって大学生協へまわってみた。王子駅前からから都電に乗って。ところが Inter'l サイズの L も M も売り切れで、来シーズンまで入荷しないという。ジャージーは半袖なので冬場はセーターの上に着ることもある。だから大きめでないと。ハンドタオル(450円)のみ購入したが、小さくて薄くて…。マフラーと帽子なら普段でも使えるかもしれない。

 試合の方は希望的観測がかなりの程度実現され、勝利をおさめました。その夜の書き込みです。

今年は5点差の勝利!03年1月12日(日) 02時33分09秒
 みなさんご承知のとおり、27−22で勝利しました。
 軍楽隊が校歌を演奏する儀式ではじまりました。
 スタンドは6割の入り、そのうちの8割は早稲田の応援だったでしょう。モールとラックの違いなど、ルール解説の声があちこちで聞かれました。
 ゴール裏は、千駄ヶ谷方が関東で、代々木方が早稲田。「はずせ」コールは聞かれず。

 大悟のトライは、後半の終盤に関東を突き放すところでほしかったのですが、まさに強引な先制トライでした。ちょっと早いなあと思いましたが、これがチームに勢いをもたらし、先行逃げ切りを可能にしました。主将の面目躍如です。
 関東・北川主将は、「早稲田は昨年ほどミスをしなかったのに、関東は昨年以上にミスをした。トライ数は同じだから、力は同じ。ミスの差だった」とコメントしています。関東は、前半のPG、GKがもう1本入っていれば確かに同点でしたね。


 清宮は「先行逃げ切りを予定していた。後半の終盤勝負にならなくて良かった」と述べています。また「PGをはずしたのはチームの力でしょう。個人の責任ではない」(ラグマガ)とも言っています。個々の力はともかく、チームとしての完成度で、早稲田の方が上だったと言いたいのでしょう。

 関東FWの猛攻に耐える早稲田。終盤は早明戦をみるかのようでしたが、点差と残り時間を勘案して、余裕がありました。
 ノーサイドを迎え、早稲田FWが芝に横たわった姿が激闘を物語っていました。よく守りました。強いチームはDFが強い。
 Ultimate Crush とは行かなかったけれど、それは来シーズンに期待しましょう。


 終盤、早稲田はハイタックルや故意のオフサイドを連発しました。北川主将は岩下レフェリーに「これではせっかくの試合が荒れてしまう。早稲田に注意して下さい」とリクエストしたそうですが、岩下さんは聞き入れませんでした。大悟も「もっと落ち着いて守れば良かった」と述べ、浮き足立っていたことを認めています。
 来シーズンこそ、ピンチにもあたふたしない覇者のラグビーでの二連覇を期待します。
 当面のライバル・関東は、監督が心臓を手術したとか。TVには複数の外人コーチが映っていましたが、どうなることでしょう?
 

感激の表彰式、そして……

 ずいぶんと古い話ですが、1974年 World Cup 西ドイツ大会。そのルポに「表彰式の間、電光掲示板には「 Welt Meister Bundes Repblik Deutschland 」の文字が誇らしげに輝いていた」とありました。国立競技場の電光掲示板は、どうなっていたでしょう?
 「Congratulation! 早稲田大学」の文字と赤黒ジャージが映し出されていました。その写真をぜひ掲載したかったのですが、使い捨てカメラでは納得の行くものは撮れませんでした。。


 長い表彰式のあとの写真撮影。それを終えて選手がBKスタンドに向かおうとして、協会役員に引き留められました。と同時に、アベベが、君原が、円谷が入ってきた代々木門から、清水スポーツ係員に誘導された老若男子百名近くが入場してきました。そう、WROBです。勝手にグラウンドに降りられて混乱するのを心配してのはからいでしょう。『荒ぶる』の斉唱です。電光掲示板に表情が映し出されました。

 この一団は、現役部員と一部のOBたちでした。永田組の同志社戦のあとは、みんな顔をクシャクシャにしていましたが、今回はそんなに多くはありませんでした。自然発生的でないと感激の度合いも薄いのでしょう。わたしの出身高校にも、スポーツ応援で勝った時に唱う歌、負けた時に唱う歌がありました。対校戦グループの他の伝統校に、このような風習がないのが不思議な気がします。

 ちょうどそのころ、BKスタンド中央最前列では、山崎勇気や弘樹たちが、いまにも飛び降りんばかりの体勢をとっていました。企業人2年目、ホント新人類です。

 ビクトリー・ランの際、このOBたちにトロフィーをもたせていました。弘樹には何をしでかすかわからない雰囲気がありますが、それはラグビーだけにして欲しいものです。

 同行者は長男。永田や清宮のビデオを見て育ちました。目の前での優勝にたいそう感激し、ドライアイが一時的に解消したそうです。信濃町では「まこぱぱ」サンとお会いしました。



◆ 03シーズンの早稲田

 来年の3年生はBKに人材が揃っています。すでに名前を知られる安藤、豊山、内藤慎平のほかに菊池和気(きくち わく)がいます。千葉ラグビースクール出身で、錬成会で目立っていました。市立稲毛高校から一般入試で人間科学部に進みました。BチームではCTBのレギュラー。大悟のあとに入るでしょうか。
 来年は清宮体制3年目。どんなチームを作るか、大いに楽しみです。しかし、問題はそのあと。後任はどうなるのでしょう?



02シーズンの早稲田

春の早慶戦(5月19日)108−17
 千葉県・白井市運動公園陸上競技場まで行ってきました。東武野田線、北総開発鉄道を乗り継いで。千円の入場料を払い、芝の土手で応援。
 実力差は明らか。前年シーズンからなじみとなったメンバーで、慶應を圧倒しました。
 入場の際、山口吉博君に会いました。どういうワケか彼とはよく出会います。決勝戦で感激の握手をと期待していたのですが、これはかないませんでした。

Oxford 戦(9月15日) 23−23
 上井草の自慢の施設を見てきました。
 試合では、これまでの外人戦と違って最後まで足が止まりませんでした。小柄にみえる仲山君が、じつはキン肉マンであることが、間近で見てわかりました。「豆タンク」という感じ。
 残り10分で3点のリード。50年目の初勝利を期待しました。しかし、同行の長男が腹痛を起こしてトイレに駆け込み、早稲田の勝利まで流してしまいました。ホント残念でした(札幌在住の明治ファンは、今回の優勝で早稲田在学の息子への「仕送りを減らしてやる」と息巻いていました)。

 試合後は東伏見に足を延ばしました。
 施設はそのままで、使える状態であり、全面にポイントのあとがついていました。誰かが使っているのです。しかしそれは、正式の使用ではない。トンボがかけられていないからです。隣のサッカーコートは、きれいに整備されていました。河川改修工事の施工はいつなのでしょう。
 東伏見に向かう車中で、対面に座ったおじさんが連れにこんな話をしていました。
 「清宮と大悟と三人で食事したんだよ。大悟は話しかけない限りだまってんだよ。寡黙な男なんだよね。そんな男が主将になって、試合ではみんなに指示してんだろ。今日なんか、上村が出てないからFWにも指示してた。あれじゃ、持ち前の突破力をみせられないよな」と。
 何者なのかな、あのおじさんは? ともあれ、おじさんの心配は杞憂に終わり、「強烈なキャプテンシーを発揮して……」と評価されていますね。おじさんの考え方に問題があったのかな?

◆ 法政戦(9月22日) 45−31
 いきなり4トライも先行されましたが、前年シーズンの戦いぶり、Oxford 戦の戦いぶりから、わりと余裕を持ってみていました。
 隣に座った「族」の方と話ができて、学生や指導者についてのいろいろな情報を仕入れることができました。

帝京戦(11月3日) 64−10
 帝京の実力向上にともなって、筑波、日体よりも後の対戦となりました。相変わらずエンジンの掛かりが遅かったものの、後半は零封。今年は強いぞ!
 試合後選手はクールダウンをします。スパイクを脱いで走っていた仲山君。同年配の女性から「ナカヤ−っ」と声をかけられるとスタンドに歩み寄り、話し込んでしまいました。試合中に「蹴られてよう」、その後は思うように走れなかったそうです。

◆ 早慶戦(11月23日) 74−5
 どういうワケか、慶應の大学院生と観戦。仕事の都合で後半開始にやっと間に合う。応援は押さえ気味。慶應は主力の故障・負傷が重なって気の毒でした。
 試合後は吉宗で一息。口の悪い友人は、「慶應は上田の顔色ばかり見てプレーしているから、自分たちで考えることができない」とこきおろしました。雅人コーチがフルタイムで指導できなくなった影響が大きいのでしょう。

◆ 早明戦(12月1日) 24−0
 前年シーズンは、レフェリーに助けられたというか、なんか後味のわるい勝ち方でしたが、今シーズンは完勝でした。前半を耐え、後半に持てる力を爆発させました。胸のすく勝ち方でした。欲をいえば、もっと得点して欲しかった!
 ノーサイド後、大悟は明治主将と選手権での再戦を誓いましたが、明治は大西一平が指導する近畿大学に敗れてしまいました。直近の3回の優勝では、いつも明治が早々に敗退し、対戦していません。明治に勝っての優勝こそ、いっそう格別の味でしょう。そのためにも、明治の復活が待たれます。小村の手腕やいかに?

準決勝 法政戦(03年1月2日)43−7
 一シーズンに2度の対戦はしんどいなと心配したが、それも杞憂に終わりました。法政監督をして、「早稲田は、われわれよりももっと進化していた」と言わしめました。
 さて決勝戦。相手はもちろん関東学院。春からA・Bチームとも勝ち続けている。期待はいやがうえにも高まりました。

リコー戦(03年2月9日) 31−68
 日本選手権の相手はリコーでした。
 体の切れ、スピード、力強さ、すべて相手が上でした。それでもよく健闘し、5トライを奪いました。ラックからはやい球だしができれば、攻撃が通用することがわかりました。選手たちにも自信になったことでしょう。
 羽生が奪った最初のトライ。スタンドはまるで優勝したかのような騒ぎでした。健闘はしても勝てないことは、みなわかっていたのです。対校戦や選手権の際の緊迫感はなく、お祭り気分で観戦しました。
 クールダウンでは、2〜3人単位で適当な間隔でBKスタンドまでやってきては、「あいさつ」して戻って行きました。上村君も来ました。いかにも「やんちゃ坊主」の太田尾君、主将になってどう変わるのでしょう。豊山君と青木君は、中途で向きを変えて戻ってしまいました。恥ずかしかったのかな? プレーに納得できなかったのかな? 父親からやるなと言われていたのかな?

 来シーズンから日本選手権は、サッカー天皇杯方式に変わります。従来の日本選手権で複数回優勝した大学は、早稲田だけ。4回です。他の大学はみな1回だけ。連覇したのも早稲田だけ。最後に優勝した大学は早稲田です。
 余談ながら、天皇杯で最後に優勝した大学も、森孝慈主将と釜本邦茂をようする早稲田でした。



* BGMは、早稲田大学混声合唱団第44回定期演奏会(99年12月)におけるアンコール曲「早稲田の栄光」です。